フォーク・ソング

フォークソングは、1959年に開かれた第1回ニューポート・フォーク・フェスティバルに端を発し、モダン・フォークと呼ばれるアメリカの歌である。その根元は、ヨーロッパの民謡や宗教歌がもとになったものが数多くある。また、カントリー、ウェスタン、ブルースなども広義にこのジャンルに含まれる。
1960年にジョーン・バエズがデビューし、1961年にボブ・ディランがデビュー、当時のマスコミは2人をモダン・フォークのプリンセスとプリンスと呼んだ。1963年に行われた第3回のニューポート・フォーク・フェスティバル、公民権運動の主役は、勿論この2人であった。

「500マイル」 作詞・作曲:H.ウエスト、歌手:ピーター・ポール&マリー、他
アメリカのジョージア州に古くから伝わるホーボー・ソングをヘディ・ウェストが採譜して広めたが、いくつかのバージョンがある。「500マイル」というのは、「はるか遠く」という意味である。

「七つの水仙」 作詞:F.モーズレイ、作曲:L.ヘイズ、歌手:ブラザース・フォー、他
1957年にウィーヴァーズのメンバーのリー・ヘイズとフラン・モーズレイが作り、ウィヴァーズの歌った曲だが、ブラザース・フォーの歌でヒットした。

「さらばジャマイカ」 作詞・作曲:L.バーゲス、歌手:ハリー・ベラフォンテ
ジャマイカの民謡「鉄の棒」のメロディを元に、カリプソ歌手ロード・バーゲスが作り、歌った曲だが、ハリー・ベラフォンテの歌で大ヒットした。

「夢見る港」 作詞・作曲:P.リンカーン、歌手:メアリー・ホプキン
フィラモア・リンカーンが作詞・作曲し歌ったのだが、メアリー・ホプキンの歌った方がヒットした。

「パフ」 作詞・作曲:P.ヤーロウ, L.リプトン、歌手:ピーター・ポール&マリー、他
ピーター・ポール&マリーのメンバー、ピーター・ヤーロウの作で、1963年にピーター・ポール&マリーの初のヒットとなった。

「ドナドナ」 作詞:シェルドン・セクンダ、作曲:ショロム・セクンダ、歌手:ジョーン・バエズ、他
1940年にショロム・セクンダの作曲で、アーロン・ゼイトリンがイーディリッシュ語(ユダヤ系ドイツ語)で作った詩は、家族がユダヤの強制収容所に送られていく悲しみを詩に込められている。後に英語詩か作られ、日本語の訳詩は、安井かずみさんので有名である。 1964年に、ジョーン・バエズのシングル盤が日本でも発売され、フォーク・ブームの先駆けとなる。

「雨を汚したのは誰」 作詞・作曲:M.レイノルズ、歌手:ジョーン・バエズ、他
マーク・レイノルズの作詞・作曲・歌唱の反戦フォーク。ジョーンズ・バエズの歌がヒットした。
小百合さんのレコードはないが、リサイタルなどで何度も歌っている。

日本におけるフォークは、アメリカのモダン・フォークのコピーから始まり、日本独特の発展をとげる。和製フォーク、カレッジ・ポップス、ニュー・ミュージック、など様々な呼称で60年代後半から70年代前半にかけてヒットした、いわゆるそれまでの流行歌の範疇に含まれない日本製モダン・フォークは、吉永小百合さんによるカバーにも影響している。

「若者たち」 作詞:藤田敏雄、作曲:佐藤勝、歌手:ザ・ブロードサイド・フォー
TVドラマ「若者たち」の主題歌で、映画監督・黒澤明さんの長男である黒澤久雄さんがリーダーのザ・ブロード・サイド・フォーが歌った。後に映画化され、映画主題歌としても使われた。
ザ・ブロード・サイド・フォーは、当初ザ・ブロード・サイド・スリーと称して、ブラザース・フォーなどのフォークのコピーを行っていたが、次第にオリジナルを手がけるようになった。

「今日の日はさようなら」 作詞・作曲:金子詔一、歌手:森山良子
この曲は、1968年にポランティア・グル―プ「ハーモニィ」のために、専従スタッフでジャズ・ミュージシャンでもある金子詔一さんが作詞・作曲した。日本のジョーン・バエズと呼ばれた森山良子さんが歌ってヒットし、ジョーン・バエズの初来日のステージでもデュエットで歌われた。

「禁じられた恋」 作詞:山上路夫、作曲:三木たかし、歌手:森山良子
森山良子さんは、日本ジャズ界のトランペッター森山久さんの長女で、学生時代から抜群の歌唱力でその存在は注目を集め、フォーク・ソングは黒澤久雄さんに勧められた。1969年にシングル「禁じられた恋」を発売、ミリオンセラーを記録する。

「フランシーヌの場合」 作詞:いまいずみあきら、作曲:郷悟郎、歌手:新谷のり子
新谷のり子さんは、1969年にベトナム戦争に心を痛めて自殺したフランシーヌ・ルコントを歌った「フランシーヌの場合」でデビューし、大ヒットする。本名は、「アラヤ」だが、高名な歌手の名前に間違えられるので「シンタニ」としたそうである。また、「戦争と人間・第三部」の主題歌「愛の旅人」が忘れ難い。

「或る日突然」 作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、歌手:トワ・エ・モア
トワ・エ・モアとは、フランス語で「あなたと私」の意味。山室(白鳥)英美子さんの透明感のある歌声は、プロテクト・ソングの全盛時に爽やかな清涼感を表現してヒットした。

「幸福(しあわせ)」 作詞:阿久悠、作曲:加藤和彦、歌手:吉永小百合
この歌は、吉永小百合さんのためのオリジナルと思われる。8トラック・テープの発売後の2年後に北原早苗さんのシングルでカバーされた佳作。

「今日も夢見る」 作詞・作曲:川本優子、歌手:万里村れいとザ・タイム・セラーズ
ニッポン放送「ヤング・ヤング・ヤング」で公募された歌の第1位となった曲のレコード化作品。作詞・作曲の川村優子さんは、北海道旭川市のオフィス・レディ。万里村れいさんは、フォーダイムスの一員であったが、ピーター・ポール&マリーのマリーと、本名である村上和子の村を合わせた芸名に変え、「ザ・フォー・ミンストレルズ」というグループと一緒に「万里村れいとザ・タイム・セラーズ」のバンド名で、この曲でデビューした。

「白い色は恋人の色」 作詞:北山修、作曲:加藤和彦、歌手:ベッツイ&クリス
アメリカ・ハワイのフォーク合唱団の一員であったベッツイとクリスのデビュー曲で、元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんと北山修さんの作と言うことで話題になった。日本語をほとんど知らないにも関わらず、発音はしっかりしている。

「希望」 作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく、歌手:岸洋子
ミュージカル「イルマ・ラディウズ」のために藤田敏雄さんの作詞した曲で、シャンソン歌手の岸洋子さんに提供された。その後、フォーク歌手たちに取り上げられ、フォー・セインツでヒットした。

「白い鳥に乗って」 作詞:北山修、作曲:杉田二郎、歌手:はしだのりひことシューベルツ
はしだのりひことシューベルツは、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった端田宣彦さんと(オリジナル)ジローズの杉田二郎さん、およびアマチュア・バンドのバニティーのメンバーとで、ザ・フォーク・クルセダーズの解散コンサートでデビューした。4枚目のシングル曲で、歌唱力のある杉田二郎さんがリード・ボーカル。小百合さんが歌った場合とのイメージ・ギャップが大きかったが、かえって味わい深い印象である。

「遠い空の彼方に」 作詞・作曲:西岡たかし、歌手:五つの赤い風船
五つの赤い風船は、1969年2月にインディーズのはしりであるURC(アングラ・レコード・クラブ)のアルバム第1弾でもある「高田渡/五つの赤い風船」でデビュー。「遠い空の彼方に」は、このアルバムに収録されていた曲。プロテクト色が強く、小百合さんのリード・ボーカルで再レコーディングされるとは思っていなかったが、意外に違和感がない。同じメンバーで彼らの曲をアルバムにして欲しかった。

(c)J. Shinshi

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