「愛と死をみつめて」のリメーク

題名公開日配給監督脚本みち子役実役
愛と死をみつめて1964-04-12
〜04-19
TBS-TV
蟻川茂夫橋田寿賀子大空真弓山本学
愛と死をみつめて1964-09-19日活斎藤武市八木保太郎吉永小百合浜田光夫
若きいのちの日記1969-08-12
〜10-03
ABC-TV
?高岡尚平島かおり高橋長英
若きいのちの日記1978-07-30
〜08-06
TBS-TV
高畠豊稲葉明子大竹しのぶ江藤潤
愛と死をみつめて2006-03-18
〜03-19
TV朝日
犬童一心鎌田敏夫広末涼子草なぎ剛

原作は、大島みち子・河野実著「愛と死をみつめて」と大島みち子著「若きいのちの日記」で、前者は二人の手紙、後者は日記である。1963年末にベストセラーになり、翌年にテレビドラマおよび映画化されたもので、リメークというより競作である。
テレビ版は、東芝日曜劇場で企画されたのであるが、軟骨肉腫という癌に犯されて顔の半分を手術でえぐり取られ、遂に死亡してしまうという実話であり、あまりに暗い話であったためスポンサーの反対があった。また、出来上がった脚本は二時間分であったため、前例のない前後編では放送できないので一時間分に纏めるよう依頼したそうである。しかし、脚本を読んだ石井ふく子は、カットする所がないとして、前後編二回で放送するようスポンサーに申し入れたところ、制作を断られた。石井ふく子は、脚本を短くすることも拒否し、プロデューサーも降板すると抗議したそうである。放送後の反響は大変大きく、再放送が何回もされ、視聴者の感涙を搾り取ってしまった。
映画版は、原作を読んで感動した吉永小百合が映画化を熱望したものである。やはり日活でも、トップ女優が顔の半分を覆った姿ばかりであり、内容が暗すぎるということで躊躇したそうである。しかし、いざ撮影に望みキャストもスタッフも熱気を帯びてきた。スタジオの病室での演技中、雨粒が落ちてきたが、雨漏りかと疑ったところ、照明スタッフの涙であったという。迫真の熱演に泣いていたのである。映画の公開後も反響は大きく、映画館ではすすり泣きする人々が多く、滅多に泣かない男性もハンカチを濡らしていた。そして、日活の歴代作品中の興行成績ナンバーワンを記録したのである。
さて、両作品の比較であるが、どちらも名作であり、どちらがより優れているということは難しい。大空真弓の演技も、吉永小百合の演技も完璧であり、両作品とも見ていない人はいないと言われている位である。
その後、原作を大島みち子著「若きいのちの日記」のみでテレビドラマとしてリメークされた。何故、大島みち子・河野実著「愛と死をみつめて」を採用しなかったかは、此処では書けない問題があったのである。島かおり版は、放送時間が平日の13:15〜13:45であったため、観ることが出来なかった。大竹しのぶ版は、東芝日曜劇場で放送され、一応観たのであるが、余り感銘を受けなかった。やはり、大空真弓と吉永小百合のみち子役の印象が強く、違和感を覚えた。ただ、大空真弓が看護婦役で、山本学が医師役で出演していたのが印象に残っている。
40年の時を経て、韓流ブームの影響か「純愛」ドラマとしてリメークされ、広末涼子版が放送された。周辺人物を丹念に、様々な人生を描いているのが特長であるが、みち子さんの死後の実さんの描き方に疑問を感じた。マスコミによる強烈なバッシング対して、エピローグで「みち子さんも弱い人間」だったと結論づけていたが、みち子さんを大変強い人間として描いていたのに、唖然としてしまった。また、広末涼子の迫真迫る熱演に対して、草なぎ剛の学芸会演技が失笑をかう。キャスティング・ミスである。1960年代を再現するセットを再現したそうであるが、チャチなもので、アップの連続でごまかしていた。そして、クライマックスでアップの広末涼子の顔半分の表情だけの演技が涙を誘うが、対する草なぎ剛のアップが無表情で、その涙が引けてしまった。壮大なる失敗作である。


(c) J.Shinshi

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